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Gamer Book

火曜日, 11月 08, 2005

オープンソースという虚像

私は「オープンソース」という言葉が嫌いである。 GPLというものを読んだ事はあるだろうか?非常に堅苦しく「どこが自由なの?」と思わなかっただろうか?少なくとも私はそう感じた。 私は、そんな堅苦しい話は抜きで、暗黙の了解で共有する感覚を楽しめるような、比類なき自由度を体感できる環境が必要なのだと思っている。

何もこれは別に特別な事ではない。 今では特別な事だと思う人の方が多いだろうが、かつては「普通」であったことである。 特別な事だと思う方は、是非、マニアの趣味でしかなかった10年ちょっと前のパソコン雑誌を古本屋で探してみてほしい。当時の比類なき自由度を容易に読み取ることができると思う。

「プログラムを作る」という楽しみが遠のき、新たなる開発者の減少が、このような堅苦しい状況を生み出しているのかもしれない。

なぜ楽しくないのか? 便利なモノは簡単に作れても、楽しいモノが簡単に作れないからではないだろうか? そして、コンピュータの進化とともに「制限」が皆無になり、考えることをやめたからかもしれない。 一般人に考える余地をあたえないくらい進化し、手に負えない状況になってしまったと言えるかもしれない。 今、キー入力1つまで徹底的に考えている開発者はどれだけ残っているのだろうか? 用意された機能で定型パターンをコピーして終わり。これが今のプログラムではなかろうか? コピーではなく、別のアプローチを考え出そう、という行為をやめていないだろうか? 分厚い操作マニュアルを読破し、コンピュータの中で何が起こっているのかも解からず、使いこなした気になっているのではないだろうか?

何も考える楽しみが皆無になったのはプログラムに限った事ではないとも思う。 既にコンピュータミュージックと言えばPSG音源にFM音源、MIDI音源が主流だった頃とは異なり、ACIDのようなモノが主流になった。確かに音質は劇的に向上し、素材集から切り貼りするだけで音楽が出来上がるという、かつてであれば夢のような環境ではある。しかし、コンピュータミュージックにはまったから音楽や楽器について学ぼう、と考えるような事も少なくなったと思う。

失われたモノを取り戻すのは難しいだろう。 だが、不可能か?手遅れか?と言われれば、そんなことはない。 今ならまだ間に合う、と私は考えている。

posted by Xune @ 23:53   links to this post 0 comments

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